コミュケーションの回復

 6月12日(日)老人クラブの社会奉仕活動として、地域の小学校のPTA親子奉仕作業に協力しました。老人の信条に謳われている「出来得る範囲の社会貢献」(除草)です。それでも呼びかけに応えて校区内老人クラブ会員約20名が参加して、子どもたちと一緒に汗を流しました。
 終了時、校長の挨拶でお礼の言葉と、お願いとして「中学校区全体で挨拶運動に取り組んでいる。地域で子どもをみかけたら挨拶を」という呼びかけがありました。
 そういえば、以前、子どもに対して、不審者(大人)から声をかけられても応じないで逃げるように指導され、いざという時の「駆け込みの家」の指定、パトロールによる不審者対策がとられました。「下手に子どもに声をかけると不審者扱いされる」。また、町民同士すれ違っても素知らぬ顔(町民かどうか不明)挨拶をしない大人が増えました。

 この地域コミュケーションを回復に「三世代交流事業」「挨拶運動」を地域で提唱しなければならないのは少しわびしい気持ちもするが、地域の人間関係ひいては人間性回復のために出来得る老人クラブの「出来得る範囲の社会貢献」と思えば、積極的に取り組む活動かも知れない。みなさん大きな声であいさつを交わしましょう。


この記事へのコメント
オームソーリーさん
はじめましてわんぱくっちと申します。貴方様のブログを見て感銘を受けております。私はまだ34歳でまだ世間ということに対して未熟です。ただし一つ言えることはやはり世代間のコミュニケーションが少ない点があると思います。私は実家が東北で浜松には仕事で10年前に来ました。東北と比較するのはどうかと思いますが、残念ながら子供たちの元気な挨拶が浜松では少ないです。
この原因を考えてみると仕事の都市部への集中で核家族化が進み、まずは家族の世代間の繋がりがなくなったことにあると思います。家族間でも顔を合わせることが少なくなってしまう一人に一つの部屋割も良くない理由だと思います。
また、すべての仕事において高度化する要求に対して労働が過度になってしまっており、労働者としての主が家に不在となりがちで子供との時間が少ないこと、そして仕事においては人との接触が多いことで人に疲れていることがコミュニケーション不足を助長しているように思います。特に最近は実行する人より指示する人の方が多いと思います。実行する人は忙しくなり人にすれてしまっている。
日本は本来島国で狭い土地だけに物資が乏しくお互い助け合って思いやりを持って隣人に接してきた国だったはずだったと思います。上に立つものがコミュニケーション不足を自覚して将来のビジョンを考えなければ日本はお金以前に残念ながら破綻してしまう気がします。
日本を考える前に私は身近なところで子供と多くコミュニケーションをとるように接していきたいと改めてオームソーリーさんのブログをみて思いました。
長文になってしまい申し訳ございませんでした。
Posted by わんぱくっち at 2011年06月19日 10:55
わんぱくっちさん今日は。コメントありがとうございます。もっと早く返事をと思っていましたが・・申し訳ありません。ご実家が東北とのこと、ご無事だったでしょうか。御見舞申しあげます。
 実をいうと私はわんぱっちさんの2.3倍の年長、今まで書いてきたことは「年寄りのたわごと」と最近は反省しきりでした。でもあなたのような若い方にお読みして下さる方がいて本当にうれしく思います。
 私自身現役の頃、職場では3歳違えば意思疎通が困難、指示・伝達事項でさえ三年間の年代にクッションをおいてコミュニケーションがとることが徹底できがるやり方だったと覚えています。これは、正規・パート・派遣というように働き方に変えられ、地方の働き手が都市に流失したことで家族の在り方まで変えてしまった結果ではないしょうか。
 浜松市は政令指定都市ですが「中山間地域」を抱える政令市です。東北地方と変わるものではありません。そして日本全国に共通する社会現象です。 私は地方にこそ人間味あふれる生活があることを感じています。しかし残念なことに、その文化・伝統、人間性まで失われようとしています。失って初めての失われるものの大きさに気づき、その深刻さに驚愕するのは、あなたのおっしゃるとうりです。今後もできる範囲で地域で活動したいと考えています。今後もご支援ください。
Posted by たぁくん at 2011年06月22日 11:56
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。

写真一覧をみる

削除
コミュケーションの回復
    コメント(2)