井戸端会議をしよう

 昨日、京都 寂庵(庵主・瀬戸内 寂聴)で開れた、上原まりの琵琶演奏と(源氏物語・瀬戸内寂聴訳)の口演?を聞きにいってきました。台風18号の被害を受けた愛知県を通過するのはちょつと気が引けましたがーーー。
 上原まりの前段?の公演が終わった所で現れたのが寂聴さんです。予定外のサプライズに120人の聴衆は沸きました。フランスからの取材記者の要望もあつたようですがーー。 それにしてもおどろきました。会場に入っただけで沸き、普段話で聴衆を引き込む会話のテクニックに感心するのみでした。
 最近、家族間の会話がなくなった、また減ったといわれます。昔、どの家にもあった「茶の間」が消え、個室を与えられた子どもたちが、勉強部屋にこもるのが当たり前の社会になりました。会社では同僚(机を並べている)の間でさえ仕事、会話はメールが当たり前になっているといわれます。私のようなアナログ人間には想像もつきません。 動物のなかには生存のため、コミュニケーションを持つ種はありますが、言葉を用いる種の話はあまり聴きません。
 今朝の新聞に、オバマ アメリカ大統領か゛ノーベル平和賞が贈られるとの記事が一面トップを飾りました。「核なき世界」「より良き未来に向けて人々に希望を与えた」と讃えられてーーー。 国際政治におけるオバマ大統領の「言葉」の重みに、ノーベル賞が贈られたのは当然です。
 寂聴さんの普段話(失礼)に聴衆は癒されます。それほど、人には「言葉」は大切です。もっともっと人同士の会話が行われるならば人は今以上に幸せになれるのではないでしょうか。


上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。

写真一覧をみる

削除
井戸端会議をしよう
    コメント(0)